けびん先生の作戦

教育再興戦略/教育経済学/edtech けびん先生 @marumo258844532

#作戦9 動画2.0と世代論と教育

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今回は『動画2.0』(明石ガクト著)で提唱されていたIPT(情報密度)という考え方から、学校の授業の情報密度を考えてみます。まずは、情報密度の背景にある、人類ひいては子どもの変化について。

 

1.スマホネイティブという世代?

世代論という考え方は面白い。育った時代の社会の価値観や環境や流行りで、人の思考や感覚や行動も大きく左右される。世代論という言葉が世の中に出てきたのはいつかは分からないが、世代というひとくくりの塊を意識したのは、おそらく戦後の高度経済成長の時代か。

 

自分自身も親世代(20歳から30歳の差)の価値観とのズレを大きく感じるように、子どもも教員の世代と考え方のズレを大きく感じてるのかもしれない。 

今の50代が若い頃、世の大人に「新人類」と表現されたほど、両者の価値観には差異があると思われてきた。その新人類も、今や「ゆとり」や「さとり」世代との価値観の違いに驚いているだろう。いや、もはや新人類だけではない。

 

社会の変化するスピードが速いぶん、世代の区切りが30年、20年、10年と短くなり、もはや5年くらいで感覚が違う世代となっているのかもしれない。少し年齢が違うだけでも、それぞれの世代に隙間があるように感じてならない。

 

同じ10代でもインスタからyoutubeからtiktokまでグラデーションになっており、若くなればなるほど「インスタ?何それ古い。youtube?暇潰しでたまに見るかな。tiktok!みんなちょーやってるよ。」ぐらいのイメージだ。

 

そして、この世代の区切りは、今や単なる年齢の区切りではなく、情報感度による区切りになり、同年齢でも差異が生まれている。「デジタルディバイド情報格差)」などと呼ばれたりすることに近いかもしれない。

 

2.IPTと学校の授業

これを『動画2.0』(明石ガクト著)ではIPT(時間あたりの情報量=情報密度)という概念を提唱し「映像化」と「動画」を軸に、両者の特徴を考察している。

そして、生まれながらにIPTが高い環境に育っている今の子ども達にとって、テレビを始めとする映像メディアは一言で言えば「遅い!そして内容が薄い!」と。youtubeなどの動画メディアは、CMもない(場合によっては広告はあるが)し、CM明けの巻き戻りもない、タメのような分かりきった演出もない。それどころか、視聴者により短い時間でより濃い内容のものを提供しようと、1秒単位で計算され編集されつくされている。さらに、内容が分かり辛い時は巻き戻し、聞き流していい部分は早送りをする、考えたい時は一時停止する。そうして、自分に最適な情報の受け取り方をするのが「動画」だ。

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このIPTの視点で学校の授業を考えると非常に辛い。IPTで言えば、ダントツで低いからだ。

全員が同じスピードで、同じ情報量を与えられる。与えられる量もクラスの大多数が理解しきれる量をねらう。しかし、みんな同じというのは幻想で、理解が早い子もいれば、遅い子もいるのが当たり前である。そして授業は、一時停止も、巻き戻しも、早送りもできない。

これはテレビや映像メディアと同じである。結果として若者は「テレビ離れ」しているが、子どもは「授業離れ」などできない。動画メディアに慣れきっている子にとって、このストレスは大きいかもしれない。

 

学校は昭和時代が黄金期のシステムだ。当然今の子どもは教科書の知識を教えられるだけの授業を面白く思えない。ではIPTを高めれば良いかというと、そうもいかない。なぜならこの差は、年齢差ではなく情報感度の差なので、同じ教室にも情報を処理できる子とできない子が生まれる。ではどうするか。

 

3.IPTと授業の改革

私の現時点の考えでは、解決策は2つある。

1つ目は、ハードウェアが揃うならば、アダプティブラーニング(個別化学習)の方向に舵をきり、ソフトにスタディサプリなどのような民間企業を利用することだ。

スタディサプリでは、一人ひとりの学習進度を記録し、成績のデータを解析、フィードバックをしながら次のステップに進む。これは全国の全ての学校で担任の先生がやっていることであるが、どうしても主観が入ってしまったり、そもそも経験によって見立ての技術や指導力に開きが出てしまう。

 

精度を上げようと思ったり、より指導効果を上げようとすれば、そのデータの集計と解析で膨大な時間がかかってしまい現実的ではない。そのため、個々の教員の力量に任されているところである。それをAIというテクノロジーを使って、解決しようというのがスタディサプリだ。

 

実際に私立の多くの高校や渋谷区の小中学校でも導入されている。最新のテクノロジーを使いながら、個別化学習を研究しているし、学校との連携にも慣れている。実績もノウハウも豊富であるならば、協力するのは大いにありなのではないだろうか。

 

もしくは、単元内自由進度学習を取り入れる。この指導方法では、自分で進度を決めて学習できる。また、子どもは自然に教え合ったり助け合ったりする仕組みつくりがある。

 

それは友達同士で教え合うことは、もちろん評価されることであり、教室というコミュニティでの貢献度としてプラスだ。

 

そういう子どもも評価すれば、学力の差が競争や差別とはなりにくいだろう。自分のためにひたすら問題を解いて時間を使うことも、友達に教えてあげるために時間を使うことも、どちらも同じように価値があることだからだ。

 

しかし、単元内自由進度だけでは、おそらく片手落ちだろう。本当に個別化学習として、単元構成や演習や評価までデザインしようとすると、どうしても時間が足りないので現実的ではない。やはりAIの解析のようなテクノロジーが必要だと思う。

 

2つ目は、体験中心の授業である。授業を体験中心の形に舵をきるのだ。学校で得ることのできる「知識」に意味があるのではなく、知識を得ようとするという「行為自体」に意味を見出す。これは「実質」と「機能」を明確に分ける考え方だ。

 

学校教育の知識は教科書をもとに内容が固定化されており、それを分析する企業が同じ内容をかみ砕いて編集し、教材として売り出す。

 

それを与えられた子供は、興味や関心は脇において、とりあえず「そういうもの」として実感のない知識を予習する。そして、分かったつもりになる。

 

もはやこれだけ多くの家庭に予習教材が出回っていると、「学校で新しい知識を得る」なんていうのは幻想であり、前時代の話だということは明白だ。

 

なのでいっそのこと、体験中心の学習にするべきである。本来ならばそれが21世紀の新しい学習のモデルだった。だから「総合的な学習の時間」は新設されたし、ゆとりカリキュラムもつくられたのにも関わらず、結局はテストの点数主義に負けてしまったのが現在である。

 

しかし、もう一度PBLの復興がじわじわと広がっている。ICTを取り入れて学習効率を上げ、生まれた時間で体験中心の課題解決的な学習を行う。実際のアイディアや実践例だってある。

logmi.jp

www.learning-innovation.go.jp

 

 あとは、現場の私たちが決断して挑戦するだけ。一つでも多くの事例を挙げて、発信し教育の未来を変えよう。

新しい人類の子ども達と創る未来はきっと楽しいに違いない。